自分語り⑧
こんばんは、大字あゆみです。
自分語り続きです。
前回は一時保護施設にいた頃のことを書きました。
大字が家族の元に帰ることを頑なに拒否し続け、保護施設も一時的に身を置く場所なので、学校に通えないのは宜しくない、ということで児童養護施設に入所しました。確か中学2年生ぐらいのとき。
しばらくは普通に学校に通い、部活は吹奏楽部に入部し日々を過ごしていました。
しかし、だんだん気持ちが不安定になり、生活が困難に。
まず、部活で支障が。楽譜すら読めない大字は先輩から拍の取り方を教えてもらうも、全然理解出来ず。
学校から借りてる楽器(トロンボーンだった)をぶつけた際は、顧問の先生に申し出て謝罪しなくてはいけなく、 不注意の化身大字は毎日先生に謝り続けました。
クラスにも馴染めなかったからか(実はこのときの学校のクラスに関する記憶はすっぽり抜けてる)学校に通わなくなり、部活も休みがちに。
部活は土日も練習があったのですが、休みの連絡を入れることも出来なくなると、トロンボーンパートの先輩から「こんなに出来ない人だとは思わなかった」と言われ、再起不能に。
退部し別の部活に入るよう言われるも、吹奏楽部の件があって、どこも見学させてもらえない末に、1年生が創部したハンドボール部に入部しました。
実は、一時保護施設に入る前は中学でハンドボールをしていたんです。まぁ、後輩しかいなくて居心地は良いとは言えなかったと思います。
ある日、ハンドボール部の後輩たちに大字が児童養護施設に入っていることを指摘され、2度目の再起不能。
この頃、人間不信が激しく、進路相談で三者面談をした際、母親に「もっと人を信じなさい」と言われた記憶がありますが、もう大字は誰とも会話せず施設の人を困らせてばかりいました。
もちろん学校は不登校になり、施設の人に引っ張られて学校に行くことを促されました。
ある日、3人がかりで自室から引きずり出されたとき、それまで無言を貫き通していた大字が金切り声をあげて抵抗しました。
抵抗というか、自分は叫んでないのに叫んでいる声が聞こえる、あ、自分が叫んでいるのか、っていう感覚。
不登校になる直前から、自分が分かれてしまった感じがあって、自分の中に意識が1つだけではなくなったような気がします。
自分以外の意識がある話は前にブログで書きましたけど、発端はこの頃だと思います。
話は戻って、叫んで暴れる大字を見て施設の人の人たちは「それだけ行きたくないのに無理強いするのは良くないんじゃないか」と思ったようで、学校には通わず、適応指導教室という不登校の小中学生が通う教室にバスで1時間かけて行くことになりました。
大字としてはいろいろな人に迷惑ばかりかけて、何処に行ってもダメな子で、メンタルヘルスは底辺をさまよっていました。
ちょうど同じ頃、夏休み明けに自分と同じ年代の子が自殺をはかるニュースがよく流れてきました。
以前から思っいた「死にたい」という気持ちが徐々にリアルな存在になり、リストカットをしたのもこの時期です。(跡が残らない程度の浅いもので、常習化もしなかったので痕跡はないですが)
どんどん自分を追い詰めるなか、適応指導教室に何の望みもなく通うことになりました。
話がまとまらないや。
また気が向いたら続き書きます。