点と線

日記。たまにイラスト。メンヘラってる。

一昨日買ったもの※後半メンヘラ注意

おはようございます、大字あゆみです。

 

一昨日、街に出てきました。

お茶碗を買って、レインブーツ買って、映画観て、ルピシアで茶葉とか買いました。

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茶葉の他にハチミツも購入。砂糖代わりに入れると美味しいんだそうな。

 

エアコンは諸々ありまして、もう少し見送りです。

1週間後ぐらいにまた動きだします。

 

この先はばりばりメンヘラモードで話すので、見たい人だけ見てください。

 

 

 

 

 

 

 

今朝はスッキリ起きられたのに、前の職場の上司を思い出して、モヤモヤ、というよりただただ苦痛でしかない。

 

いろんな勘違いをされていても、もう分かってもらえる手段がない。つらい。悲しい。大字はその上司を尊敬していたのに。

 

たくさんのつらい気持ち、悲しい気持ちを抱えたままで、それが無くなるときがくるのだろうか。その気持ちが軽くなるだけでも良いんだけど。

 

死ぬまでそういう気持ちを抱えていくと思うと、死ぬときを早めたい、とつくづく思う。

今の期間のように、つらい気持ちを耐えている間にも、時間は刻刻と過ぎていって、その先に何があるのか。

社会経験の乏しい、歳だけを重ねた自分を思い描くとゾッとします。

 

希死念慮というものがありますが、大字の中の「死にたい/死ななくてはいけない」という気持ちは常に心の中にあって、それが意識のなかで浮上したり、奥底埋まって隠れたりする。

何かの拍子にまた何かを起こすかもしれない。

 

浮上しているものを元から消し去るにはどうすればいいんだろう。

病院の先生?カウンセラー?家族?友だち?

家族・友だちに話すにはあまりにセンシティブな内容な気がする。

病院の先生は薬を見繕ってくれるだろう。

カウンセリングは前に通っていたところで「あなたはどうなりたい?」「あなたの気持ちはどうなの?」「今、話していて自分ではどう思った?」と聞いてくれる。でも、浮上しているものと真正面に対峙して言葉にすることに必死で、上記の質問にはいつも戸惑ってしまう。

 

そもそも、大字の中には自己が薄い気がします。小さい頃から周囲の人たちの見様見真似で行動しているので、他人の意見・空気がかなり入りこんでしまっている。自分の思うことは大体間違っている感覚があるから尚更。

 

社会人になって、自分の考えを言わなきゃいけない場面が増えてくると、見様見真似に限界が出てくる。

職場に同僚がいることも少なかったから真似すればいい人がいない。みんなどうやって生きているんだろう。

 

今はブログで言葉を壁打ちしてるだけだから、不健全なことだと何となく思う。

やっぱり自分の気持ちを話し合える、他人の気持ちや生き方を聞ける場所が欲しいな、と改めて思いました。