点と線

日記。たまにイラスト。メンヘラってる。

感受性養うとかやばくね?

こんにちは、大字あゆみです。

 

今日は1日雨ですね。大字のところは午後から雨脚も強くなってきました。午前中に買い物行ってよかった。

 

唐突なんですけど、大字は高校生の頃から読んだ本のレビューを書いています。

レビューと言ってもそんな大したものではないです。普通に一行で終わるものもいっぱいあります。気分がのったり、凄く感動したりしたときは長々と書いたりしていますが。

今日なんとなくそのレビューを見返していたんですよ。読んでいて思ったのが、「大字の感性やばくね?」ということです。

文章は未熟中の未熟だけど、登場人物の心の変化に対して文章表現がこんな風に変わってきたとか書いているんですよ。自分の体験と重ね合わせて、この本はこんな価値があるとか。今思えば超上から目線なんですけど、わりと確信をついているなぁ、と自分で自分を褒め称えていました。

あ、ちょっと引用するんで見てもらえますか?引用の仕方ぐちゃぐちゃですけど許してください。

最後のほうを読んでて気づいたのは、前半は章が変わっても同じ出来事を描写していて家族みんながみんな変に寄り掛かってて息苦しそうなイメージだったのに対し、後半は章ごとにそれぞれの人の行動とかも独立していて、それが良い距離感を維持していて生きやすそうに感じた。
なんていうか、前半は以前本で読んだ枝が絡みあってうまく成長できずにいる植木を思い出させた。
家族って必ずしも一緒にいることが幸せとは限りませんしね。

村上龍『最後の家族』を読んだ大字のレビューから一部抜粋)

これは作者の表現したいものがなんとなく分かっている感じがします。2011年読了とあったので、当時高校生だった頃のレビューですね。

児童書らしく不思議なことが起こる。
それに立ち向かう、わかりやすい物語。

(略)

内容は凄い迫力を持っている訳ではないが、その言葉1つ1つに重みがあり、なかなか読んでいて、ほーと感嘆のため息でした。
大人になっても読める素敵な本でした。


2020年1月3日再読。
今の私にとても刺さる本でした。
「勉強しなくちゃいけない」「ジムに行かなくちゃいけない」「みんなの興味が唆られるような絵を描かなくちゃいけない」一時も時間を無駄にしてはいけない、そんな気持ちが多いこの頃です。しまいには疲れきって、マイスター・ホラが言っていたような無気力に悩まされるまでに至っています。
時間を有効活用するってなんだろう。最近では実用書の言うことを真似て意識的にゆっくりする時間を取るようにしていますが、そういう事ではないような気がします。罪悪感を感じながら、ゆっくりする時間を確保しても、それでは意味がありません。
上辺だけの知識を実践するよりも、心から時間を楽しむ事が出来るようになりたいものですね。

ミヒャエル・エンデ『モモ』を読んだ大字のレビューから一部抜粋)

有名な児童小説をレビューしたものです。社会人になって初めて読んで、最近再読したレビューがついてますね。よくもまぁ、見事に自分のことに落とし込みまくってます。内証していた頃に書いたのが原因かもしれませんね。

 

あとはまぁ、レビューを書いているサイト「ブクログ」の大字のページに飛ぶリンク貼っておくので、よければテキトーに見てみてください。

読書感想文 (大字あゆみ) - ブクログ

 

今は大学の勉強で専門書を読み漁る毎日で、休憩に小説を読もうとはならないんですよね。そして、小説を読まないでいると読力が下がり、小説を読むハードルが上がるわけです。さらに小説を読まないでいると怖いことに感受性が落ちるんです。上述の昔のレビューに対して大字が『大字の感性やばくね?』としか書けなかったのが最たる証拠です。

 

ということで、買ってきました。窪美澄さんの『やめるときも、すこやかなるときも』。

久しぶりのフィクション小説です。今日みたいに雨で寒い日に紅茶を入れて本を読むのは至高の時間ですね。大学のレポートもだいぶ片づいてきましたし、ゆったり読書に耽りたいと思います。

そのためにも、とっととブログ書き終えて紅茶用のお湯を沸かしに行きたい。