なんで大人のメンヘラには手厳しいの?
こんばんは、今日も元気に鬱々大字あゆみです(やけ)。
今日の昼休みに読んでいたネット記事で、ちょっと疑問に思うことが。
そのネット記事は、「偉い先生にお悩み相談!」みたいな感じでした。
相談者は中学校から不登校&ひきこもりに。家族からの虐待もあったそうです。進学も就職も出来なくて、何をどうしたらいいのか分からない、人生終わった、とのこと。
「大変そうだなぁ。この人もわりとハードなメンヘラなんだろうなぁ」と失礼にも共感していた大字。
先生の回答を読み進めていくと、ズバズバ手厳しい言葉が並んでいました。
勝手に自分の人生終わったと思わないこと。早急に進学か就職しなさい。中卒でも働いている人はいる。あなたは中学での不登校や家族からの虐待を言い訳にしてる。ちょっとは自分でどうしたらいいか考えなさいetc.
う、うーん・・・その通りな部分もあるかもしれないけど、なかなか厳しい意見。あと、すごい圧力を感じる。
このズバズバ切り込む姿勢は、この先生の持ち味なのでしょうか。
大字はたまたま流れてきたネット記事を読んだだけなので、本当はこういう厳しい回答を読者や相談者は求めていたのかもしれません。
これまで不登校やひきこもり問題などを題材にした本を結構な数読んできた大字ですが、子どもに対しては、「不登校の気持ちを受け入れよう」とか「ひきこもりの子どもたちに寄り添って」「手厚いサポートが望まれる」みたいなことが書いてあるわけですよ。
うんうん、それは大事。辛いことがあったかもしれない。その気持ちを理解することって必要だと思う。
これが大人になると「いい大人なんだから甘えてはいけない」「ひきこもりなんて以ての外。今すぐ就職しなさい。実家出なさい。自立しなさい」
このような意見をよく見かけるのですが・・・あんまり本人の辛かったこととか聞かないんだな・・・・・・
家族から受けていた虐待を社会に踏み出せない言い訳にし過ぎるのはいけないと思うけど、大字的には辛かった思いは誰も受け止めてくれねーのか、と、やさぐれると思います。
極論だけど、例えばある人が子どもの頃、大人のようにしっかりすることを求められて、そこで受けた軋轢が大人になって出てきたとしても、その傷を受け止めてもらうのは、難しいことになってしまうのではないでしょうか。
人生、世知辛いな。やっぱり子どもは子どもらしくした方がいいんでしょうね。
大人は、自分の人生自分の責任。
分かってはいるけど、子どもはいいよなぁ、と嫉妬する大字でした。